昨日は父の命日だった。だけどもこれといって何の供養もしてあげられない。
ただ心の中で手を合わす。ふがいない長女で申し訳ない。
わたしは父も母もきっとお墓にはいないと思ってる。
もちろん仏壇に閉じ込められてもいない。
いつも私たちのまわりをふわふわと漂っているような気がする。そしてたまに夢に出てきて、何やら意味深な言葉、あるいは雰囲気を残していく。
今朝も故人オールキャスト的な夢を見た気がするが、言いたいことはよくわからない(^^;)
なんであんな夢を見たんだろう?っていつも思うだけで。
それはそうと、仏壇についてだけど、
宗派によって位牌の扱いなどに大きな差があるようだ。
実家の宗旨において位牌は必要でないとされる。亡くなった人のことは「過去帳」に記しておくべきで、位牌は礼拝の対象にはならないし仏壇には飾らない。
でも実際のところは位牌が仏壇に飾られている。そして、それには今まで亡くなったご先祖の法名、俗名、歿年などがしるされている。
「やっぱり欲しいよね」って感じでご先祖が作ったものだろうか。
位牌というのは何よりも大切なものだとおもっていただけに、要らないと言われるとちょっとショックだ。
それともう一点、水やお茶は供えないで、とも言われる。
あっちの世界は瑞々しく水を敢えて供える必要はないらしい。
また戒名とかの存在感も変わってくる。ある宗派では戒名をつけてもらうのにかなりの金額を要するとも聞く。文字数が多いと高いとか院号がつくと高いとか…。
同じ仏教でもかなり違うことが最近わかってきた。
どちらがどうだと意見することなど当然できないが、きまりや御布施でがんじがらめの宗派はできることなら遠慮したい。何やら金儲けの匂いがプンプンする(^^;)
でも代々にわたる菩提寺とのつき合いは、そう簡単に切ることも出来ず、悩ましいことだとも思う。現にそういう話はよく耳にするし。
実家の場合は長男である弟がちゃんとやってくれているので、何の文句もない。
ややこしい宗派でなかったのは有難いことだ。
晴天に恵まれた休日だというのに、
デジカメ不在で新緑の写真もない。おまけに楽しいイベントも何もない。
それにしても仏壇の話題ってどうか……とも思えたが。
まあいいでしょ。