あれこれ雑記帳

見たことや感じたことをとりとめもなくその日の気分で書きます。

仏壇と神棚が同居する不思議

「仏教と神道とは共存できるか」
とたいそうなタイトルをつけたかったが、中身はたいしたことはない。

仕事場として毎日通ってきているこの実家には、昔から仏壇と神棚がある。
仏壇一つと神棚は二つある。それに石の地蔵尊もいらっしゃる。
今ではあるじ亡き家なので、(形だけは)私がお守りをしている。

住んでいた頃は、あまり気にもしなかったことなのだが、こういう家は多いようだ。
京都の家には氏神があって、神社参りには氏神をお参りする習慣がある。
氏神は地域一帯を統括していて、神社によって持ち場が決まっている。
(勉強したわけじゃないから、正確なことは断言できないが)
この時期、「お千度」といって町内会の新しい三役さんとかが氏神にお参りする。
そして各戸に御札が配られる。
(私は参加したことがないので、これまた実態は詳述できない)
御札を貼ろうが貼るまいが勝手なのだが、町内会の行事として組み込まれている。
何を信仰していようとも、氏神と町内会の関係はずっと続いているようなのだ。
(京都市内全域のことかどうかはわからない)

一方、お寺の位置づけについて
「お寺とのつき合い方」という冊子があったので、読んでみたら
なんと、「神棚は取り払いましょう」と書いてあった。
お寺にしてみれば、神道との共存は反対なようだ。
なるほど…。

昔から気になっていたことがある。
それは、その家内で不幸があると神棚に目隠しをする習慣があったことだ。
(まさか、実家だけかな?)
忌明までは神棚に紙をはって目隠しをする。何のため? よくわからない。
それと喪が明けるまでは、神社詣でを避ける傾向もある。
人によっては、鳥居をくぐらなければいいとかいうのも聞いたことがある。
鳥居をくぐらないで、その脇を通って入るとか……それも意味不明だ。

お寺の継承者は別として、市井の人たちの間では仏教と神道が無理なく共生していると思う。
不思議だけど、それでいいのかも。
だからこそ神社のお祭りも盛り上がるし、継続していける。
京都だけじゃなく、信仰の対象はけっこうゆるいところがあるのが現実かもしれない。

それにしても、
お寺の一人娘さんが、わざわざ中学受験をして私立のミッションスクールに通うのは
ちょっとどうかなって思ってしまう。
意外と、何でもありなのかな? 京都。