ヒマだったので、実家の2階をゴソゴソしていたら
自分が小学校の時に書いた作文がたくさん出てきた。
中には「本当に自分で書いたのか?」と疑問に思えるようなものもある。
表現が子どもらしくない部分があったりするからだ。
もともと子どもらしくなかったのか、それとも親がチョイと助け船を出したのか。
今では、よくわからない。
小学校4年のときの作文に、自分の原点を見つけたような気がしたので書いておこうと思う。
『十五年後のわたし』
十五年後のわたしは、もうけっこんしているでしょうか。
それとも、まだけっこんしていないでしょうか。町もきっと少しは、変わっているでしょう。
もしわたしが、まだけっこんしていなかったら、ハンサムで勉強も少しでもよく出来る人と
けっこんしたいと思うでしょう。
でも、今はそんなことは、ぜんぜん思いません。大きくなっても、べつに、なにになりたいと
思いませんが、女らしい人になりたいと思います。
でも、もしわたしが二十五才になっても、まだ自分の家にいたら、家のおてつだいをしてい
たいと思います。
今では、わたしが二十五才か三十才の時の、町や物を見たいと思います。
そして、もしこの世の中に、タイムマシンがあったら、みらいのわたしのおばあさんのころへ
行きたいと思います。
10歳の時にこんなことを書いていた。
夢があるようで夢がない。でも、とても私らしい作文だと思った。
男性の好み(ハンサムで勉強も云々)の片鱗もうかがえる。
桜は終わりを告げようとしているが、緑や黄の色がまた戻ってきた。