「几帳面でマジメなお子さん」と言われた子ども時代。
そう、もともと私はよい子だった。
なぜなら、長女の私がよい子でなくては示しがつかない。
二人の弟の世話で大変なのに手がかかってはならない。
物心つく前から学習していたんだろう。
私はとてもいい子でも、なぜか男子(弟)がもてはやされる。
お姉ちゃんはいい子でいるのが当たり前。
それなのに、私は親戚の家にしばらく預けられたりした。
寂しくて夜に泣いていた記憶が今でも残っている。
この頃の記憶は(入園前だから3、4歳か?)けっこう鮮明で
私のベーシックなところを築いていると思われる。
いやいや、幼児期のことを書くつもりじゃなかったんだ。
本来は几帳面(かもしれない)性格なのに、
最近のくらしは実に煩雑化しているということを言いたかったんだ。
でもその雑然としたところが、どういう訳かとても心地いい。
この前も書いたけど、片づけが苦手で身の周りも(おまけに)心もいつも散らかっている。
そしてその感覚に慣れている。
でも、時折ベーシックな自分が顔を出すときがあって、せめぎ合いがおこる。
そのへんの均衡がとても微妙だ。
最近では、切り捨てたくても切り捨てられないモノが日に日に増殖している。
(*さなみさんのダイアリーよりヒントをいただきました)