このところ濫読傾向が一層すすんでいるが、読み終えた本『カクレキリシタンの実像』がなかなかおもしろかった。
あえて「隠れ」と漢字表記せずに「カクレ」としたキリシタンの本当の姿。
他の宗教を完全に捨ててキリスト教のみの信仰に生きていたのかどうか。
仏教や神道を隠れ蓑にして…と一般には言われているが、実はそうじゃないんだな…ということがわかりやすく書かれている。日本人の宗教観についても、いろいろ納得するところが多い。これを読んで妙にホッとしたりして、自分自身の宗教観を見直すきっかけにもなった。
「何を信仰していますか?」と聞かれたら即答できる宗教はない。
心の拠り所としている神はあるようでない。つい苦しいときだけ神頼みしてしまう。
でもそれは神なのか仏なのかも明らかでない(^_^;)
仏教のみを信じて「阿弥陀如来の御前に…」という清らかな心も持っていないけれど、仏壇やお墓で手を合わせるのは、たぶん先祖や亡き家族に対する感謝の気持ちからである。
念仏を唱えることによって極楽浄土に往生できるかどうかはわからない。キリスト教でいう天国で先に逝った同志と相まみえるかどうかもわからない。
でも考えてみればどちらも「倶会一処」という点では大体においてつながっているんだな。 そうじゃないんです…とか言われるかもしれないけど。
今回、夫の身内の人(言い方おかしい?)と接することがあって、タイムリーにもこういった宗教観について考えることになった。
わたしとしては、あれがダメでこれが正しいというものでもないと思う。それぞれ心の持ち方は違っていてあたりまえだ。
3日程前、実家の仏壇に向かってお坊さんと一緒にお経を唱えた。今日は、機会があれば教会にぜひ行くようにとキリスト教を勧められた。明日は神社の宮司に神道を説かれるかもしれない、わからんけど。
そんな感じでわたしのまわりいろんな宗教がうず巻いている。
どれかひとつ選べといわれてもなあ…とも思う。どっちにしても押しつけはしんどいなあ…というひとりごとでした。