今日も外は寒そうだけどいいお天気だったので、昨年からの懸案事項「墓参り」に行くことにした。そんな大げさな…(^^;)
ずっと行けなかったので、ここらで一度お伺いしなくてはと思った。
春のお彼岸まではまだだいぶ日もあることだし。
もっとも父や母はきっとお墓にはいないんだろうけど。
そういえばこのあいだ、『千の風になって』をお寺で合唱している夢を見た。
ご住職メッチャ上手! でもその歌詞がオリジナルでちっともついて行けなかったという……。
夢の話は置いといて。
一人でお墓参りに行くときに、よく立ち寄るところがある。
それは「六道珍皇寺」。
東行き一方通行の松原通を走っていると、「ちょっと寄っていけ」って閻魔大王に呼ばれるのだ。 もちろん冗談だけど…
このあたりは「六道の辻」と呼ばれるスポットで、この世とあの世の接点とも言われている。小野篁はここの井戸を通って、夜な夜な閻魔庁へ通っていたという伝説もある。普段はその井戸も公開されていないが、前に見てみたらきれいな普通の井戸だった(^_^;)(あたりまえか…)
↓閻魔堂には木像の閻魔大王(小野篁作と伝えられる)と小野篁が祀ってあって(普段は覗き窓から覗くだけだけど)とても迫力がある。小野篁は身長が高かったようで実物大とされている木像は大きくて上から睨みつけられる。閻魔大王坐像もかなりこわい顔をしている。目力がすごい。ガラスか何かで光っている。
なのにまた会いたくなる。ヘンだけど…。
↓お盆になると賑わう、精霊迎えの「迎え鐘」。鐘の音は冥土にも届くといわれる。
連休中ということもあって東山界隈では観光客の姿を多くみかけた。
久しぶりにお墓参りをしてちょっとホッとした。
あれやこれや話したいと思ったものの、お墓の前では何も話せなくなる。
ましてや「……出来ますようにお願いします」なんて都合のいい願い事はなかなか言えないものだ。
たとえ姿がなくても、父母の前ではいつになっても自分は頼りない子どもでしかないような、そんな気がしてくる。