桜は一休みして、自宅近くの満開を待つ。
空がカラッと晴れた満開の桜を撮りたいと願っているが、
週末まで、もつのかどうか問題だ。
ああそうだ、哲学の径にも行こうと思っていたんだ。
平日は無理なので今週末の天気にかけよう。
子どもの頃、いろんな習いごとをしていた。
まことにありがたいことである。
(自分の子供たちにはムリな話なので)
だけど、その中でもっともモノにならなかったのはピアノだ。
オルガンからはじめてピアノに昇格した。
練習不足の自分が言うのも何だが、あれは先生のせいだと今でも疑わない。
きっとあの先生はピアノが下手くそだったにちがいない。
でも小学校低・中学年?だった自分はそんなこと親には言えなかった。
赤いバイエルから黄色いバイエル、それからソナチネだったかツェルニーだったか、
教本はすすんだし、発表会も何度か経験したが、上手くならない。
友だちにピアノを弾く人がいて家のピアノで弾いてもらってビックリ、まったく音が違う。
だいたい先生の演奏などほとんど聴いたことがなかったし。
模範演奏なんてまるでなしだ。あやしい…きわまりない。
もう一つピアノ教室のことで親に話せないことがあった。
それはある日、いつものように先生の車に乗せてもらって先生の宅に向かっていた。
(先生の自宅でレッスンを受けていたので、私たちは送迎してもらっていた)
先生の家のすぐそばまで来た時、待ち構えていた男の人が、
まだ止まってもいない車の運転席を無理やり開けて先生を引っぱり出そうとした。
あやうくドアを閉めた先生だったが、その日はレッスンどころじゃなかった。
その男は当然家に上がり込み(そういう仲だったのだろう)
となりの部屋で男女の痴話喧嘩…。たしか先生の母親が在宅だったのだが
どうもこうも…。
「きのうはどこで誰と何をしていた!」てな話だった。
何人かの幼い生徒たちを置き去りにして、痴話喧嘩もあったもんじゃない。
ドキドキしながらも、シーンと静かにしていたのを覚えている。
親に話せなかったのはあまりに刺激が大きかったからだろう。
あれからしばらくして先生は事故を起こしたとか体調が悪いとかで、
休みがちになり、とうとうレッスンも立ち消えになってしまった。
よかったよ、やめられて。
やめてからも、うちのピアノは調律などでお金を食っていたが、
(昔確か、母の話によるとあの調律師がまた怪しげだったとかで)
今では買い取りの対象にもならない遺物となっている。
ピアノは情操教育の一環になれたのだろうか?