あれから10年も経った。
誰も口にしないけれど、わたしは忘れない。
けっして忘れてはならないと思っている。
去年も同じ日に、同じような記事を書いた。
自分自身、確認をする意味で。
1期生だった彼の愛する母校に、奇しくも二人の息子が入学することになった。
それも何かの縁かもしれない。
あの砂利道を上っていった質素な学舎が、今はすごいことになっているよ。
(開学50周年の記念事業には少しは寄付もしなくちゃなあ…と思う)
彼の遺志は全うできないかもしれないけど、
わたしはわたしなりに、がんばろうと思っている。
現実はとても厳しいけれどね。
10年前の朝、
「とても不幸なことが起こった」と打ちのめされるようなショックだった。
でもあの時、わたしの脳裏では不思議なことに、別の気持ちがわきおこった。
3つにもならない時期に実母と死別した彼のことを思い出し、
「やっと、お母さんに会えるね。よくがんばったねって言ってもらえるよ。」
と思うと、少しショックがやわらいだ。
これは罪なことなのだろうか。