距離があるから価値がある「恋文」。
東西の文豪達が思いの丈を綴った手紙を紹介しているこの本。
さすが文豪だけあってストレートな文が多い。
でもちょっと設定が世間一般から離れているので、参考には…なる?
妻がいて愛人がいて時には娼婦の相手をして、それでも奔放な恋をする。
うーん、愛情なのか色情なのか見分けがつかぬことも多い。
しかしながら、著者があとがきで述べた以下の言葉には、大いに納得。
恋愛書簡の面白さは(中略)一緒に仲よく暮らす夫婦や恋人のあいだでは
成りたたないという逆説です。(中略) したがって、そこにはかならず、
相手の不在という事実が恋愛を刺激し屈折させる要因として働き、幸福な
恋愛の退屈さにひびを入れ、恋愛感情に複雑な陰翳をあたえます。
逆にいえば、相手がそこにいてしまっては、恋文は書かれえないのです。
(以上引用です。あしからず。)
あなたがここにいては書けないのよ…ということだ。
恋文を書いている自分に酔っていることもありそうなわけで。
この本は、ササッと読めておもしろかったけど、テクニックの参考にはあまりならないなぁ
というのが読後感。
それに思ったんだけど、以前に他の方の記事で共感したように、
カタカナの名前がスッと頭に入らなくて、途中でこの人男性か女性かどっちやったかな?
とかそういう苦労が多かった。いかに外国文学に親しんでいないか…を再認識した。
カタカナの名前覚えられなくてね…。だから受験も世界史はやめて日本史にした。関係ないか。
以下はその共感した記事です。
http://d.hatena.ne.jp/amayadori000/20120425/1335339018